森の中で迷って寄り道してみよう。
ひきこもり図書館のブログ始めてみます。
さて、居場所ということについて。
さっこん、子ども食堂が地域の居場所になりつつあるということがあります。
子ども食堂はほんとに困った人たちは来てないという批判もあるし、本来は行政がすることを人々の押し付けているという主張ももってもだと思う。子供が中心というのも偽善的な気がします。
しかしながら、人々の世界が会社や仕事や学校になりつつあり、公の場故にリラックスして居れない、競争があったりする、ノルマがあったりする、
武装解除できない場になっているのに皆が疲れていて場を求めているのは切実かなって思います。
かつて、色々なことが簡単に解決できないがゆえに人は人とたわいない会話をしてやりすごしました。
クーラーのない時代、夜道に出て近所の人たちと縁台で話した思い出は忘れがたい。
今そういった物が消えつつある気がします。
私にとっては故郷の下町の路地の草花を愛でることで、人の善意を感じることができました。言葉は両刃の剣だけど、花を褒めてほしいという気持ちの共有感で救われる気がしました。居場所は街にあるのかもしれないと思っています。