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最近、朝ドラのばけばけを楽しんでいる。怪談で有名な小泉八雲と妻の節さんの物語を普遍的な心に深い傷をおった男女の奇跡の出会いとして据え直したもんだと思っている。
節さんの経歴は今回初めて知ったが、没落士族としてとんでもない苦労をされたのだなあって知った。
経済を立て直しすために主人公おトキさんに養子を取り、それをいびり倒していた祖父の勘右衛門さんを見てると母方の祖父を思い出して胸がいたんだ。
第二次大戦後、地主をしくじって、始めた材木屋を倒産させて出資者の村人から責められて村を逃亡した祖父は働かなくなり、上の学校にもいかせず長女に婿をとった。
そして、その婿を一生いびり抜いたのだった。
おトキさんの婿のギンジロウさんはしっかりしていたので逃亡できたが、おばの連れ合いは結婚直後にB級戦犯になった。見越した実家から厄介払いをされたようだ。その後は、ほぼ縁を切られたらしい。叔父はいろんな職業を転々とした。
どうやら、上からもいびられていた叔父を戦友たちはそれでも随分と支援して、仕事をくれて助けてくれたらしい。インテリでしっかりした人だった。
その叔母は理不尽なまでに大人になった私を嫌っていた。働いてない。まともな大学をでていない。従姉妹たちは優秀で国立大学をでて銀行にお勤めで憧れていたのだが。
たまたま、SNSでトキの弟の三之丞や父の司のすけのような人が身近にいたら嫌なもんですよと呟いてやり取りしたとき、不意にわかったのだ。いとこたちの稼ぎで祖父母は養われていたのだな。
祖母が奢ってくれた喫茶店のパフェも叔父たち一家からでていたのだと。それなのに祖父は甲斐性なしってって叔父の陰口を叩いていた。遺言で、いかに恥をかかされたかとか家の金を維持できなかったかと、つらつらと書き連ねた。そんなやつ実際にいるんだとなさけなかったけど、妹たちは父に同情的だった。
涙が出てきた。そりゃ嫌うわ。母たち妹たちはまともに彼らにありがとうっと言ってないし、態度にも出さなかったのでは。
フラフラ働かなかったのは、祖父を肯定したい母が女が外で働くのは惨めなことだからと職場に電話したりして邪魔したりとか私にも言い分はあるが、それを踏まえても不甲斐ない私を許せなかったのだろう。女が稼ぐなんて惨めという価値観をおばも共有していたゆえのいじめだったんだな。
おトキさん一家の没落は新しい価値観についていけなかったことなんだろうなって思う。身分で守られて当たり前とか。そういた古い価値観がいよいよ滅びた、ここ数年で、節さんの話もあらかさまに語って笑っていい話になったんだと思う。
そして、明治の新しい価値観を身に着けて、古くても良きものへの誇りを取り戻す話なんだなって思う。
今語られる物語を楽しむことは意味あるんだなって感じている。
みなさん、物語を楽しみましょう。
母とは?三宅香帆「娘が母を殺すには?」
この本、単行本なんで高いなって感じていて。読むのを後回しにしてた本。紅白に著者が出るのでとのことで読んでみたらとおすすめがあったのでやっと読んだ。
この本は医者にしたい母を殺した滋賀医科大学生母親殺害事件の女性についてどうしたら防げるかを考えるために三宅香帆さんの読書歴を通して、母と娘の関係性の問題と解決について本の批評をもとに書かれたものだ。
まず、母と娘の問題について最初に言及された萩尾望都の漫画「イグアナの娘」について言及されていた。
私は萩尾望都の初期作品のポーの一族のヘビーユーザーなんでこの漫画は50代ぐらいで読んだだけど、ポーも母と娘の問題が含まれているのは後で気づいたと思う。
私は主人公のエドガーの養い親になるシーラが吸血鬼の男爵の妻になって吸血されたあと、優しかった彼女が非道な女になったときにびっくりしたのだけど、今となって思うのは女性が母という社会的な約割を負った時にいくらでも非道になれるんだなってことだったと思う。
それを解決するのは新しい家族を友人を持つことだというのが「イグアナの娘」だと思うけど、三宅香帆さんがそれについてのアンサーが山岸凉子の「日出処の天子」なんだというのにうなりました。
私は主人公の厩戸皇子、聖徳太子が愛していた蘇我毛人に振られたあとに選んだのは白痴の少女で、その子が厩戸皇子の母にそっくりだったと毛人が驚いてたことに引っかかっていたのだ。彼の母はとても平凡な容姿で優しいだけの人として描かれていたからだ。
優秀で美しい彼がそこまでこだわっていたのが理解できなかった。しかしながら、母は息子を気持ち悪いものとして扱っていた。そのことがそこまで彼を追い詰めていたかと。
母を否定するために新しい家族を求める。そのために彼は同じように優秀な毛人を求めたのだけれど、同化を拒む毛人に遠ざけられた。その後、彼が得たのは逆らえなくて、自分の気持ちをわかりあえない白痴の少女との性的な関係だけだった。
これは支配しやすい母を得たということだったんだなって思う。萩尾望都的な解決は常に支配、被支配の問題をはらんでいる。そこがアンサーだったのだなって思う。
私だけでなく、読者の素朴な感想を具現化したのがよしながふみの「愛すべき娘たち」なんだなっていうのは同感だ。この中である「母というものは 要するに 不完全な女の事なんだ」というモノローグだ。
私はこの言葉を読んだ時、父が死に向かった時に両親と喧嘩して去ったとき、外まで追っかけてきた母と父の姿を見た時を思い出した。この人たちは弱い平凡な腐れ縁の男女でしかないんだという感慨だ。
この本にも言及されているけど、息子と母の関係性にも同じような関係性の問題がある。母との確執にこだわって、女性に極端に理想化を求めて不幸になる男性は多いなって思っている。このあたりは男女の区別はそうないなって思っている。
ここまで書いていて気がついたのだけど、日出処の天子の主人公が両性具有であったことは親と子という永遠の問題についての課題に届く道しるべだったんだなって思う。
移動することの大切さと逗まることの大切さ

私達家族は会社の移転により、神奈川県に住んでいる。ざっと30年になる。
封建的な価値観が残る場所で居心地は良くなかったが、自然のチカラに守られてずっととどまっている。
もともと夫も私も親に歪みがあって、地元に住めないところがあった。
極端に自分でない何かを常に求められていたというか。
夫の自分の両親に対しての冷淡さはちょっと背筋が凍るところがある。嫌いを認めたくないゆえの冷淡さだからか、たちが悪い。「俺は嫌われているんだ」とずっと言っていた。
あながち間違っていないと思う。それは本人の問題でなく両親夫婦間の歪みなんだと、私は感じている。ありふれたことではある。
以前は双方から仲を取り持つこと求められたし、応えたりもしていたが、もう私も体を壊してしまい、どうでもいいかとコロナ以降何年も会わず過ごしている。
夫の母は高級老人ホームで健康に95歳でお元気で、たまに夫が私に促されて会いに行っているけど、お金の話しかできないそうである。立派な食堂で大声でお金の話しかしないのは、私は見栄っ張りかもしれないけど、耐えられない。
会社の移動によって、色々あって、夫の同僚のお子さんは成人前にお二人亡くなった。ひとりは自殺でもうひとりは病死であった。
移動というものは本人たちが向いていたとしても、子どもたちにとてもつらい部分がある。ずっと地元にいる人たちは、それがわずらわしくてもたまらなくても、何かしらの背景による支援があるのである。
著者の伊藤将人さんがあとがきに書かれているように、田舎へのあこがれで移住した人のお子さんが都会に出でてきて、やっと、自分を取り戻したと、この仕事をして、かつての友人にインタビューしたところ語ったことに、ショックを受けたとあとがきに書いていた。
親は移動する意味があるけれど、それに付随する子どもは犠牲者になりがちだ。
この本の参考になっているたくさん書かれているアメリカの移民問題も移動の困難さをデータによって考察しているようだ。
昔、司馬遼太郎の「アメリカ素描」を読んだとき、移民二世はアイデンティティが混乱していて、学力不足が起こったりで親と同じ社会的な地位を得ることは困難で犯罪に走る人も多いとあった。
アメリカなどの国では能力が高いとされる人が移民として歓迎されるが、二世はほぼ、差別により社会的な地位が下がる。能力主義と移民はそれほどに関係が深いみたいだ。
一世が持っている能力は生まれ育った場所の環境や人間関係で作られてもので、それがない子どもはどんなに辛いことか。
私にとって身にしみる年月だった。それでも死を選んだ子どもたちを持った親たちより幸いだ。
しかしながら、移動が必要な人たちも多い。狭い人間関係のなかで解決できない人が多い。
しかし、この本のデータにあるように車の購入額がかつての2倍になっていたり、介護の問題は特に女性たちに降りかかってくる。
地方の3分の1は移動ができないそうである。
強い環境を持つ人は移動が可能だ。それがこの本の表題である「移動と階級」だ。
その下駄は平常時には見えない。だから、能力が高いとされる人は移動は幸福を呼ぶ作業だとしか思わない。
それは、しかし、それが、困難な場所をより辛い場所にしてしまう。
移民を動かすのは情報である。より豊かで自由な生活。
しかし、それは都市生活を支える安価で能力の高い労働力をえるための情報のまやかしである。それを長くアメリカやヨーロッパは促してきた。でも、元からの代々いる人が優先される絶望がある。
日本でも山梨県のテレビで東京の天気予報しか流さない局があるそうだ。常に首都圏のきらきらした情報が流される。
移民を受け入れた側も、移民が現地の人の労働を奪うこと、その第2世代のアイデンティティの混乱による社会不安を抱えることになる。
それがほんとに移動が必要な人を脅かしもしてる。
そういう、労働力の搾取と資源の搾取を防ぐには踏みとどまる人がいることが大切だ。
困難な人の中では、都会のからくりを知ってしまった人は、その少なくなった資源にしがみつかざる得ない人も多い。
それが、政治家たちに移動を簡単に言われて、能登の大地震で移動することをためらった人たちの怒りである。
地震の支援を長年してきた人もそれは言っていたが、東日本大震災のときにリベラルなグループが困難な家庭に都会への移住を促し、家庭崩壊を招いた現場を見たけど、ほんと腸が煮えくり返る思いだった。移住を簡単に見るなと。
この本が書かれた理由は、このそこが気になった編集者に、この研究をしていた著者が発掘されたからなんだそうだ。
この本は色々な日本の本とデータを駆使し、そして、アメリカの最新の移民研究を参考にしている。もっと、移動することに対してみんなの考えが深まると良いなって思っている。
あったことの足跡は尊い「片思い世界」

私はずっと泣けないのだけど、この映画が2度見たけど泣けた。
私が坂元裕二のドラマに注目しだしたのはトルコでリメイクされた「Mother」あたりからだ。家族の枠から逃れた子どもを持たない人はどう生きるか。現代に適応した社会の悩みは共通だ。昔から一人者はいたという人もあるかもだけど、昔は血縁関係のある村社会にいたから絶対的な孤独を感じる人は少なかったと思う。今を生きる人の多くに届く話だと思う。
若い時のひねくれた私は人気だった「東京ラブストーリー」も見てないし、本人も代表作という「それでも生きていく」も見ていない。まあ、作者がほんとに描きたい作品を書き出したのは最近かなって感じるのでそんなに後悔していない。多くの信用の積み重ねでホントが描けると思うので。
私は彼自身が俺は「テレビや」だからと言っているように時代と呼応したたくさんの経験のある彼の作品を、今見たいのだ。
最近のドラマでは「初恋の悪魔」が大好きだ。あれは創作者としての悩みを投影しているドラマであると感じた。孤独をあえて引き受けるというか。
ラストの舞台になったところがご近所で。たぶん、制作者の一人の思い出の地なんだと思うけど。その地域の子どもたちが遠足で必ず行くとこなんですね。写真を取ってお守りにしている。頑張っている架空の人に励まされて生ききる寄る辺として。
松たか子の絶妙な台詞回しと松村北斗のナチュラルな演技が光る「ファーストキス」も素敵な映画だった。
おしゃれでヒットして当然だと思う。
私、山崎のパンまつりのお皿初めてゲットしましたもん。
でも、私が、彼が映画に進出して一番気に入ったのが「片思い世界」だ。
この映画で同世代である死に近づいた坂元裕二の心境にいたく私は共鳴させられた。
映画界を支える、今が盛りの美貌と演技力を兼ね備えた広瀬すずと杉咲花と清原果耶の3人が主演だ。
その彼女らに合わせた脚本が心憎い。艶っぽい広瀬すずには恋愛。母っ子である杉咲花には母とのエピソード。生なクールさを感じる清原果耶には正義を語らせる。
美しい彼女らの家の部屋の美術も素晴らしいけど、数々の着替える衣装もとても美しい。
それらが必然として脚本に織り込まれている。悲しいけどうっとりする。
そして、ストーリーはテレビに毎日当たり前に消費される世界の悲劇が反映されている。
主演の3人が十代から活躍して成長していく姿を見守っっていた私達も反映されている。
3人を始め、脇の今大河でときめく横浜流星と小野花梨も1年以上前なので、まだ、少年少女の面影がある。若い人はどんどん変わっていくのだ。
こうあってほしいという願いが深く刻まれたストーリーだ。
物語としては「それでも生きていく」のアンサーとなるストーリーなので誰でも受け入れる話ではない。しかし、必要な人には届いてほしい。そんな映画だ。そして、励まされる。
生き残ろう「ある手芸中毒者の告白」
作者のグレゴリ青山さんは私がかつて入りびたっていた古書店で働いていたりして、どうやらすれ違っていたらしい。
また、私と同じ駅の住んでいた同僚もいて、懐かしの市場前の公園で青春を語り合ったらしい。あそこで幼い私は同年代の子に髪を引っ張られてなぎ倒されたので忘れられないのだ。
彼女は京都の下町だが、町で職人に囲まれた境遇も似ていて趣味も似ている。私が石牟礼道子を再発見したのも彼女の漫画からだ。
私も手芸中毒者であり。全然上達しない方なんであります。
私が手芸好きなったはじめの理由のひとつは、久世光彦の戦争ものドラマで兵隊さんがズタ袋をぬっている場面であった。手縫いでできるんだという驚きですね。
この本の最終話が公開されていて、彼女が戦争中の衣類の展覧会に行った体験を語っている。
そうなんです。何もなくなったときにどうするか。そのときに手芸力が試される。そして、その中でもオリジナリティを発揮することで人間としての尊厳が現れる。私にとっての手芸をそうだった。
お料理もそうでフライドチキンをひつこく調べて再現したことがあるのだけど、あれは腐った鶏ガラをいかに健康に美味しく食べる知恵から始まったのですね。
まず、塩漬けを一晩して殺菌し、濃く味付けて、少ない油で低温で骨まで食べれるように1時間は揚げる。黒人奴隷の知恵の塊だ。
こった料理は貧しい人たちの尊厳から生まれたものが多い。今は圧力釜のお陰でアメリカのファストフードになったけど。
この本のなかでファストファッションの恐ろしさが何回も出てくるけど、それによる低賃金のグローバル化で各地の地道な裁縫がなぎ倒された。その恐ろしさ。それは、服を作ることの手間を見えなくして人を踏みにじることに通づるのだと思う。
ドナルド・トランプは勘違いしてるけど、手仕事を手放したアメリカの製造業の退廃は凄まじいらしい。アメリカ創生の実業家のカーネギーが関係したUSスチールは今使える高度な鉄製品を作れないらしい。それゆえに技術やさんたちは日本の技術導入を頼むために子会社になろうとしていた。そろそろ、アメリカは軍艦も作れなくなっているそうだ。
彼の政策は外国からものが入らなくなったら、皆が国産を買うようになって、製造業が復活して貧しい人が助かるという乱暴なものなのだ。そうじゃない、豊かな人たちは。手間を惜しんでお金の力で略奪していたのだ。そうして、貧しい人は知恵を手放し、私をなくした。
NHKのテレビで関西弁を喋るアメリカ人、マイケル・マカティアさんが出てくるが、ニューヨーク近郊の手仕事の店を紹介していて、こういうことを子どもたちの教育に活かしたいと語っていた。
その彼は今回のトランプの選挙でアメリカ人が何故トランプを支持するかを取材して男を上げた。
彼は京都育ちらしい。そして、この本に出てくる北野天満宮の市が大好きだったそうだ。これは偶然ではなく、京都の職人の家に生まれたグレゴリさんと一緒で手仕事が身近にあり、その尊厳を守ることが社会に必要なんだと感じてたからだと思う。
と、話がそれてしまった。この本はそういったことを気楽に読める漫画であります。
私も大好きなBBCの番組でイギリスの手芸バトルのソーイング・ビーも出てくるしね。
彼女の数少ない少女まんが薄幸日和も好きであります。
くもり空最高っていう漫画なんだよね。
渡辺ぺこ「恋じゃねえから」人と人のぬくもりから遠いところに
どうにも煮詰まってしまって、私は評判を聞いたこの漫画を一気に読んでしまった。
この問題のテーマであるアートと性加害の問題が今の私のもやもやにハマるわけではないのだが、読んだ翌日に励まされて外出などしたのである。
「恋じゃねえから」と言っているように、人と人とのぬくもりは必ず性愛に結びつくものではなく、ましてや、隠された力関係で相手を支配することじゃないということが、主張されていて、心地よかったからじゃないかなって思う。ほんとにどこにもうっかりすると支配の関係は忍び寄ってくるのだ。
その心理を被害者と加害者の立場から描いていて、その心理を丁寧にすくっている。
アートにおける女性崇拝は根強い。日常に性を中心にする考えがはびこっているからだ。作品がよければ、その気持ち悪さも含めてアートであるということになっているけれど、傷つけられた人には一生物の傷である。
友人の不幸な少女が寂しさ故に寂しいアーティストに出会い性愛を結んでしまう。それを見てみぬふりをしたことと嫉妬したことを主人公はずっと悔やんでいた。
あることがきっかけでアーティストと対峙するために再会した二人はという漫画だ。
しかし、こういったケースはほぼ加害者は反省しない。しかし、彼はあることがきっかけで少女と友人の気持ちが理解できるようになる。
このきっかけを主人公たちの復讐の成果ではないように描くのが唸らされる。こういうケースは私は漫画は怖っくて読んだことも映画化されたけど見れない「オールドボーイ」のような展開になるのですよ。
こういった加害が日常生活に潜んでいることを丁寧に描いていくことで、主人公たちと加害者側を開放してくれる。なんか、希望を感じるのだ。実際にあるんじゃないかとも思うし。
この中で被害女性は醜形に悩んで整形した友人の男性と再会する。
二人はひかれあうけれど、これは恋じゃない、けれど、お互いに好きであることを確認しあうボートのシーンはほんとぐっと来る。性愛を介さなくても人は人をいくつしむことはできるはずだ。
大好きだった樹村みのりさんのような清潔感がある作風なのも良いですな。
アートと性愛の問題は根深い。
ピカソと愛人たちの葛藤とか、美少女を生涯描いたバルテェスとか思い出してしまう。
バルテェスは実はドキュメンタリーを見ていて、彼が評判になった美少女の絵を描き続けるために少女たちを傷つけたことを知った。
彼は日本びいきで、最後に成人した日本人女性と結婚したことが話題で文化系の女性誌で評判だった。
展覧会にも行ったのだけど。美少女を中心にした画業の作家さんと知ってドン引きではあった。そういえば、ロリコンであるウディ・アレンも東洋系の女性と最後の結婚をした。なんか、成功したロリコンの平和に生きる行き着く果なんだろうか。
ウディ・アレン。私は作品によってはまあまあ好きだし、複雑な味わいがある。この漫画がそういった人の複雑さに届いている。
好きな人を描くということは普遍的な欲望ではあろう。しかし、それをさらすことは、ときに人を殺すことなんだと思う。





